ロミオ伝説|にちゃんまとめ

2ちゃんねる-家庭板「ロミオメール」スレのまとめブログです。 また、世の中で起きた復縁にまつわる様々なエピソードも紹介しています。

    土地

    180 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2009/03/31(火) 22:21:00 ID:qY4/GDoQ0
    もう20年近く前、両親が古い家を新築する際、隣と土地の境界が問題になった。
    どうも隣が我が家側の土地に入り込んでる、というのが
    土地関連の仕事を専門にしている両親と祖父の一致した見解。
    何度も話し合いを試みるも隣は一切拒否、
    特にこの土地を買った祖父はさすが不動産屋というべきか
    それとも一般的な手法なのかサッパリだけど、
    「土地の購入時に境界に古タイヤを埋め込んだ!掘り出してみれば
    すぐわかる!」と主張するものも相手はまたもガン無視、
    色んな人に仲介を頼むもその人らでさえ「もうあいつ(隣人)とは一切話さない!」
    と話し合いの場からプンプン怒って出ていくくらい(どんだけ失礼だったんだ隣人
    結局これ以上ずれ込むと工期が…ということで
    隣に微妙に侵食されたまま家を建て、我が家は高い塀を建てた。
    ところがその隣人、元気だったのに間もなく40代で病タヒしたそうで、
    母は「やっぱりねえ、人の嫌がることをするとああいうことになるのよ」
    とシミジミ頷いている。

    747 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2013/11/22(金) 14:52:19 0
    地元の人間が見たらばれると思うがフェイクが下手なのでそのまま書きます
    祖父母が線路沿いに大きな土地を持っていました
    当時、駅のある場所は祖父の土地より1km位離れていました
    駅周辺は、マンションや住宅も出来て賑やかになっていましたが
    駅前は道も細く、バスターミナルもできない状態でしたので
    祖父の土地に移転したいと申し込みがありました
    幹線道路と線路の間の土地を鉄道会社に一部売り一部賃貸に出しました
    新しい駅には、大きなショッピングモール、駐車場、駐輪場、バスターミナルができました
    便利になったので両親は家を建てて祖父母と住んでいました
    果樹園をやっていた土地だったので家を建てる時に、果樹を一部残して、多くの桜を植えてくれました
    基幹道路と駅前の間には祖父の土地があって、旧駅のあった道を通って迂回する形になりました
    基幹道路の沿いにはマンション、住宅ができましたが迂回すると20分掛かり
    祖父の土地を通ると5分で行けることでその住民たちが祖父の土地を無断で通るようになりました
    人が通るくらい、いいだろうと両親も思っていましたが、たばこの吸い殻、ごみの放棄がひどく
    迷惑していました
    マンションの自治会から桜の開花の時に借りたいと言ってきたので片づけをする条件で貸しましたが
    宴会を始めて、ゴミを放置したので文句を言うと細かいこと言うな言って父を殴ったので
    仕方なく門扉を付けて通行禁止にしました

    107 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2017/02/16(木) 19:43:40 ID:iOl
    第三者による両親の離婚が、人間不信とトラウマの原因になった修羅場
    長い上、文才の無いおっさんが書くから、読みにくかったらごめん

    神聖職に就いておきながら「今○○の土地が安いから」などと言い放った人に
    父がホイホイ乗せられて山奥の土地を買ってしまう
    そこで目が覚めてくれればどうにでもなったけど、家まで建てはじめていた

    当然私や母にも、父から「ついてきてくれないか」と聞かれたよ
    ただ、当時は大学受験で手いっぱいだった私は聞かれた時点で寝耳に水
    聞かれた時点で両親はおろか、母方祖父母からも経緯を聞いてもなかったし、聞かされていなかったから
    純粋に「一緒に引っ越したとしても通学面でキツすぎるから無理」と父に言った

    もともと気が強い母も「買い物するとき、自転車で行ける近場に店がある訳でもない」と言い放ち
    父もどんどん言葉に詰まっていく
    「第一、近隣にウチ以外の家なんてないじゃないか」「うつ通り越してノイローゼになるわ!」
    と言われ、父は母を説得することを諦めたようだった

    ただし「母と私をつれていく」ことは諦めても、父は引っ越しをやめる・土地や家を売ったりしなかった
    「今までコツコツ頑張ってきた私や母に人生を諦めろって言うのか」と私が言った言葉ですらも、父には届かなかった
    私の意図を察したのか、この言葉を聞いても1人で行くと言った父に勘忍の緒が切れた母は離婚した

    まだ未成年で、良くも悪くも子供だった私に(両者間での取り決めなど)詳細は語られなかったけれど
    「『コツコツ頑張ってきた自分と母に人生を諦めろっていうのか』というあんたの言葉で目が覚めた」
    と言ってきた母と抱き締めあって夜通し泣きまくった日を、私は一生忘れない

    今では大学もどうにか卒業できたし、就職先でいい雰囲気になった方と結婚もできた
    子供たちに「父ちゃんしっかりしろ!」に豪快に背中を叩かれつつ、妻子共々幸せに暮らしている

    「孫たちの子供を見るまで、くたばる訳にはいかないしね」
    とカラカラ笑っていた母が先日天寿を全うしたので、区切りもかねて投下

    237 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2015/03/01(日) 09:26:30 ID:OCa
    フェイク混で、長いけど・・・


    好きだった恩師と実は両思いだった。

    学生時代、友達といるのも楽しかったけど、友達じゃ専門的な話はできないから先生と話す時間は一番の楽しみだった。
    だんだん先生のところにお邪魔するとき少し綺麗な服を着たり、メイクをちょっと変えたりしてる自分に気づいて、
    「ああ、私は先生のこと好きなんだな」って思った。
    既婚だって知ってたし、そもそも付き合いたいとか全然思わなかったから、
    友達にも、もちろん先生にも言わず、卒業した。

    この前、偶然私が社会人として働いてる土地のスタバでその先生に会った。
    先生が気づいて声をかけてくれて、混んでたのもあって相席させてもらった。
    お互い近況報告とか、学生のときみたいに学問の話をしたりで1時間くらい過ごした。
    ふと結婚の話になって、私に婚約者がいることや時期は未定だが結婚式をすることなどを話した。
    先生はが「おめでとう。私さんは白無垢もウェディングドレスも似合うだろうね」と言うから、
    学生時代の恩師として招待したい旨を話し都合がつけば是非、と。

    結果的に、先生は結婚式に来なかった。
    そのかわり、返信のハガキとともに書留で封筒が届いた。
    あけたら手紙と、ネックレスが入っていた。
    手紙には、私が学生の頃「学生にしては頭がまわる子」という評価をしていたこと、
    既婚で子供もいたけど好きになってしまっていたこと、
    何度も告白しそうになって踏みとどまったこと、
    先日会って、今でも好きだと気づいたことなどが書かれていた。

    ネックレスは私の卒業式当日に渡そうと思って奥様に内緒で購入したものだったらしい。
    私に気持ち悪いと思われそうだったこと、渡してしまえば気持ち的に一線を越えてしまい後に引けなくなると思い渡さなかったそう。
    「本当に愛してました。こんなやつを尊敬してるって言ってくれてありがとう。今でも、これからもずっと、愛しています」の文で涙が止まらなかった。
    ネックレスは処分してくれてもいい、と書かれていたけど大切にしまっておくことにした。

    夫の転勤で引越した先で見つけた職場で先生に再会し、当時の自分の気持ち、今の気持ち、ネックレスのお礼を言って、
    同じスタッフとして頑張っていくことを約束した。
    リアルでは誰にも言えないし、言わない。
    これから先も、絶対進展することなんてない、させてはいけない恋だけど、
    すごく満たされてる気持ちになった記念に。

    1 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2017/03/20(月) 09:18:49 ID:0h5fcZUk0.net
    生前の処理ロクにしてなかったからダイレクトに来たんだが
    6700万…むりぃ…

    661 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2017/03/29(水) 11:43:57 0.net
    今北
    事情はさっぱり分からないので自分の事を書く

    義兄子=姪は義両親唯一の女孫で
    可愛さのあまり義兄夫婦に言われるがまま援助をし続けていた
    姪の小学校入学に合わせて家を建てた(義両親の援助あり)ら
    この時点で義兄嫁から縁切り宣言が出たらしい
    こんな事もあろうかと夫(金融機関勤務)のアドバイスで
    土地の名義を義兄と義父の共同名義にしてあったので
    「土地代払ってもらえば?」と忠告したら義兄嫁が怒って怒鳴り込んできたw

    「うちは義両親に一切援助もらってないしー
    もらうものもらって縁切りって信じられないしー
    お義姉さんとは価値観違うから話にならないしー
    私に言われても困るしー」
    とバカっぽく対応したらものすごく怒ってた
    義兄嫁が頭を下げないと状況は好転しないと思うけど、どうするのかなあ~(高みの見物)

    180 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2009/03/31(火) 22:21:00 ID:qY4/GDoQ0
    もう20年近く前、両親が古い家を新築する際、隣と土地の境界が問題になった。
    どうも隣が我が家側の土地に入り込んでる、というのが
    土地関連の仕事を専門にしている両親と祖父の一致した見解。
    何度も話し合いを試みるも隣は一切拒否、
    特にこの土地を買った祖父はさすが不動産屋というべきか
    それとも一般的な手法なのかサッパリだけど、
    「土地の購入時に境界に古タイヤを埋め込んだ!掘り出してみれば
    すぐわかる!」と主張するものも相手はまたもガン無視、
    色んな人に仲介を頼むもその人らでさえ「もうあいつ(隣人)とは一切話さない!」
    と話し合いの場からプンプン怒って出ていくくらい(どんだけ失礼だったんだ隣人
    結局これ以上ずれ込むと工期が…ということで
    隣に微妙に侵食されたまま家を建て、我が家は高い塀を建てた。
    ところがその隣人、元気だったのに間もなく40代で病タヒしたそうで、
    母は「やっぱりねえ、人の嫌がることをするとああいうことになるのよ」
    とシミジミ頷いている。

    747 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2013/11/22(金) 14:52:19 0
    地元の人間が見たらばれると思うがフェイクが下手なのでそのまま書きます
    祖父母が線路沿いに大きな土地を持っていました
    当時、駅のある場所は祖父の土地より1km位離れていました
    駅周辺は、マンションや住宅も出来て賑やかになっていましたが
    駅前は道も細く、バスターミナルもできない状態でしたので
    祖父の土地に移転したいと申し込みがありました
    幹線道路と線路の間の土地を鉄道会社に一部売り一部賃貸に出しました
    新しい駅には、大きなショッピングモール、駐車場、駐輪場、バスターミナルができました
    便利になったので両親は家を建てて祖父母と住んでいました
    果樹園をやっていた土地だったので家を建てる時に、果樹を一部残して、多くの桜を植えてくれました
    基幹道路と駅前の間には祖父の土地があって、旧駅のあった道を通って迂回する形になりました
    基幹道路の沿いにはマンション、住宅ができましたが迂回すると20分掛かり
    祖父の土地を通ると5分で行けることでその住民たちが祖父の土地を無断で通るようになりました
    人が通るくらい、いいだろうと両親も思っていましたが、たばこの吸い殻、ごみの放棄がひどく
    迷惑していました
    マンションの自治会から桜の開花の時に借りたいと言ってきたので片づけをする条件で貸しましたが
    宴会を始めて、ゴミを放置したので文句を言うと細かいこと言うな言って父を殴ったので
    仕方なく門扉を付けて通行禁止にしました

    107 :ロミオ伝説|にちゃんまとめ 2017/02/16(木) 19:43:40 ID:iOl
    第三者による両親の離婚が、人間不信とトラウマの原因になった修羅場
    長い上、文才の無いおっさんが書くから、読みにくかったらごめん

    神聖職に就いておきながら「今○○の土地が安いから」などと言い放った人に
    父がホイホイ乗せられて山奥の土地を買ってしまう
    そこで目が覚めてくれればどうにでもなったけど、家まで建てはじめていた

    当然私や母にも、父から「ついてきてくれないか」と聞かれたよ
    ただ、当時は大学受験で手いっぱいだった私は聞かれた時点で寝耳に水
    聞かれた時点で両親はおろか、母方祖父母からも経緯を聞いてもなかったし、聞かされていなかったから
    純粋に「一緒に引っ越したとしても通学面でキツすぎるから無理」と父に言った

    もともと気が強い母も「買い物するとき、自転車で行ける近場に店がある訳でもない」と言い放ち
    父もどんどん言葉に詰まっていく
    「第一、近隣にウチ以外の家なんてないじゃないか」「うつ通り越してノイローゼになるわ!」
    と言われ、父は母を説得することを諦めたようだった

    ただし「母と私をつれていく」ことは諦めても、父は引っ越しをやめる・土地や家を売ったりしなかった
    「今までコツコツ頑張ってきた私や母に人生を諦めろって言うのか」と私が言った言葉ですらも、父には届かなかった
    私の意図を察したのか、この言葉を聞いても1人で行くと言った父に勘忍の緒が切れた母は離婚した

    まだ未成年で、良くも悪くも子供だった私に(両者間での取り決めなど)詳細は語られなかったけれど
    「『コツコツ頑張ってきた自分と母に人生を諦めろっていうのか』というあんたの言葉で目が覚めた」
    と言ってきた母と抱き締めあって夜通し泣きまくった日を、私は一生忘れない

    今では大学もどうにか卒業できたし、就職先でいい雰囲気になった方と結婚もできた
    子供たちに「父ちゃんしっかりしろ!」に豪快に背中を叩かれつつ、妻子共々幸せに暮らしている

    「孫たちの子供を見るまで、くたばる訳にはいかないしね」
    とカラカラ笑っていた母が先日天寿を全うしたので、区切りもかねて投下

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